「便利=何でも自動化」で大丈夫ですか?

人類は人の生活を便利にしようと努力を重ねて、一見人間社会は進化しているように見えます。

社会はIT社会へとなり、さらに進化していくように見えますが、人は進化しているのでしょうか。

自動化の弊害

自動化=行動の省エネ

自動化=思考の省エネ

自動化=自分と環境の関係を無意識化(無意識化は人の退化にも進化にも大きな威力を発揮する)

自動化=欲望の増加(欲望の増加が人の進化に繋がれば良いのですが、そうでない場合が多い)

自動化によって無意識な欲望の増加=認知機能の低下、依存症、症候群が引き起こされているのではないでしょうか。                        

(アルコール依存症、ゲーム依存症、メタボリックシンドローム・・・私は医者でも心理学者でもないので、勝手な意見です。)  

意識するということ

学校の勉強という頭の使い方の指導したり、卓球で体の使い方の指導をしていると、結局行きつく先があります。

それは、「その人が何を意識しているか、何が意識できるか」次第ということです。

その人が何を意識できるかは、その人の無意識の能力を決めるので、意識はとても重要です。

しかし、その「意識とは何か」は科学的にはまだはっきり分かっていません。

だからと言って、意識をないがしろにしていると痛い目に遭うことは、人は経験から分かっています。

学習することがただの反復練習になっている子供達がとても多いのが現状です。

反復練習は必要ですが、意識を伴った反復練習ならば良いのですが、

ただただ無意識に反復練習を行って、「学習=嫌な事」にしてしまっているのです。

数学の問題を解くときは、問題の意図を意識出来なければ解けないし、

漢字を覚えるときは、一つ一つの画や「へん」「つくり」を意識しないといけないし、

卓球のフォームを変えたければ、体の部位や筋肉、重心の動きを意識できないとできないし、

ダイエットをするにしても、「自分の現状」「食事」「運動する筋肉」などを意識しないと続かないです。

それと学習で大切なのが、「間違いを意識し、そこから何を学ぶのか」です。

「できなかった」という評価からくる感情から逃げることが子供の時に無意識に刷り込まれている。

だからほとんどの子供が「出来ないこと」を「無かったこと」にしようとします。

まあ、子供に限ったことではありません。

どちらかというと大人がそういう風に無意識に教えていると思います。

分かっているけど・・・・・これが意識で便利を手にした人間の無意識な甘えです。

便利な世の中がダメとは思いませんが、便利を維持するにはモノもヒトも意識もメンテナンスが必要です。

世の中は、エントロピー増大の法則に従っているようなので・・・

便利なものを作った使った分だけ、意識のエネルギーを増やさないと便利は維持できないことを肝に銘じましょう。

これがSDGsだと思います。