将棋や卓球の芸術性
技(駒)と技(駒)のぶつかり合いで勝負が決まり、その勝負の行方を楽しんでいるのがスポーツですが、技自体は芸です。
なので、スポーツは、決められた範囲(ルール)内で芸術と芸術をぶつけ合っているのです。
ということは、芸術といわれる音楽や絵画の世界も、コンテストや展覧会で順位を付けてしまえば、スポーツと同じですよね。
将棋や卓球の芸術性
将棋や卓球(スポーツ)の芸術性を知れば、勝敗気にしない楽しみ方が見えてくるかも・・・。
どんな芸にも作者なりの理論や意図がある
その理論でたった1人でも良いから誰かの心を刺激して共感を得られれば、それは芸術でしょう。
その芸が、力学的に、数学的に普遍的であればあるほど美しいものに感じます。
卓球のフォームにしても、将棋の駒の陣形にしても計算されつくしたものは、実にきれいに見えます。
人が行うからこその芸である
今現在のコンピューター(AI)が、絵を描くことが出来るとしたら、どんな絵を描くのでしょう。
何かをマネてコピーのように描くことはできても、何もないところから創造力を働かせてオリジナルな絵を描くことは無理なのではないかと思います。
そもそも人の創造性も全く何もない所から発生しないでしょうから、もしかしたら近いところまではAIにも描けるかもしれませんが、何かが壊れたような、イレギュラーな発想をできるのでしょうか。
将棋は、すでにコンピューターに負けてしまいますが、例えば、身体を付けて五感を付けて、その五感を妨害したり、その優位性を決めなければ、
まだ人間の方が勝つのではないかと思います。(いずれ負けるかもしれませんが・・・)
コンピューターの得意な計算だけで勝負をしているから人間は勝てないのです。
脳を含めて身体すべてを使った人間の芸は、本当に宇宙の神秘を見ているようです。
芸は唯一無二である
将棋の手数は、10の220乗あるらしいです。
卓球でも、プレイヤーの体格、性格も千差万別ですし、市販されているラケット、ラバーの組み合わせは計り知れない数です。
絵画や書などでも同じ作者でも全くコピーのように描(書)けることはないでしょう。
この地球が、人間一人一人がこの宇宙に存在する神秘性を芸に感じることができます。
この多様な人間、ある意味欠陥だらけの人間がなせる芸の可能性は、ホントに面白いものだと感じます。
芸術性を楽しもう
一つのスポーツで、一つの閉ざされた種目で勝負をすると勝者は一人しか生まれませんが、
芸や文化の側面で見れば勝者も敗者もいないので、その多様性を、その神秘性を、味わう楽しみ方を
覚えると、勝負している全員が楽しむことが出来ると思います。
争いが嫌いと、勝負を避けている方!勝負事の一面だけを見て勝負を避けていませんか?
是非、勝負の芸術性を見ながら楽しんでみませんか?
私は、勝負の芸術性が「潔さ」だと思います。
Tera賀茂塾 塾長 茂谷